スキーで復活中

日本は長い間スキー大国であった。今、日本人が消えたゲレンデに、外国人が訪れている

雪国
「プロのスキーヤーは皆サホロに滑りに来る。」北海道東部の山岳地帯で最も人気のあるリゾートのひとつ、クラブメッド・サホロのインストラクターはこう言う。日本のパウダースノーには定評がある。「世界で最高だ」と奥志賀高原スキー場のコンサルタント、エヴリーヌ犬塚氏は太鼓判を押す。
確かに日本は山岳国で、かつてはスキー大国でもあった。バブル期が終わった90年代半ばには、日本の冬のスキー人口は2千万人に上った。「どの村にも小さなスキー場がありました」と犬塚氏は話す。川端康成の小説『雪国』の舞台として有名な湯沢もそのひとつである。しかし、雪溶けがやってきた。今日、日本で本格的に稼働しているスキー場は600ヵ所しかない。スキー人口は2千万人から1千万人にまで落ち込んだ。かつて栄えた新潟のスキー場では、スキー客数は全盛期の三分の一。湯沢町は今や矛盾を抱える町としても名を知られるようになってしまった。空き家となった別荘は町を圧迫しており、その収容規模は湯沢町の人口8,500人の4倍に相当する。

直滑降!
外国人観光客は、日本のスキー産業の希望の光である。北海道では、オーストラリア人が眠っていたニセコの町を目覚めさせた。クラブメッドが開発したサホロ(北海道東部)のリゾートは、アジアからのスキー客を集めている。スキーの愛好家たちは、長時間のフライトと2時間のバスの行程に耐え、伝説のパウダースノーを楽しみにやって来る。
犬塚氏はスキーの未来を信じている。日本最大のスキーエリア(ゲレンデ総延長83km)にある奥志賀高原。今こそ世界がその存在に気付く時だ。オーストラリアでのスキーに関するセミナーから帰るや否や、犬塚氏は北京に向かうために荷物をまとめる。「仏南東部のリゾート地、クールシュヴェルが奥志賀高原との姉妹提携に興味を示しています」と同氏は話す。奥志賀高原はこの夏、35年来この地に別荘を構える指揮者の小澤征爾氏の協力のもとクラシック音楽祭を開催する。今までの習慣を打ち破り、力を結集する必要がある。「今年からスノーボード客の受け入れも始めますよ」と犬塚氏は熱く語った。 RA

このページをシェアする Share on FacebookShare on TwitterShare on Linkedin